Creative Light~美しい人とものたちを編んでつくる世界~

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June 2017

floracionのお洋服をenna∞Moonclosetのふぅちゃんにお譲りする、
というお話しをお店を閉めるときにブログでお知らせさせていただいたのですが。

今の所、一旦白紙に戻させていただきました。

理由を言うか、とても迷ったのですが、
お話しした方が、誤解?が少ないかなぁと思い、書かせて頂きます。


普段、父には仕事については全く相談しないのですが
閉店する旨を報告した際に、
お洋服は協業してくださった方に譲ろうと思っている、という話しをしたら
してあげた、っていう気持ちが後々残らないの?」と。

確かに、そういう観点では考えていなかった!と思い、自分の甘さを痛感しました。
(そして思わず、父に対して生きてる長さや事業経験の重さがやっぱり違うな、と
改めて尊敬の念を抱いてしまいました。。。手前味噌ですが。)

父に言われたから、というのはもちろん大きなきっかけではありますが
最終的には自分自身で熟慮の上、決めました。

ふぅちゃんには何の非もないので申し訳なさを感じつつも。

なにせ私の器がまだまだ小さいので
100パーセントなんの見返りを持たずに
全てのお洋服をお譲りすることは出来ないな、という結論にいたりました。
(什器など細々したものは協業者さんたちに差し上げたりしましたが♪それと服とは、量や額が違うので(^^))

なので、今の所は白紙とさせて頂きました。
ふぅちゃんにご期待されていた方がいらっしゃいましたら、
申し訳ないですがご了承頂けますと嬉しいです。

以上です!



むわり、とした天気の中、
銀座から日比谷まで歩く。

陽がかげっていく、少し前の時間。

スーツ姿の人びとの中すり抜けるように、歩く。

ビルの合い間から、雲を通り抜けた
ふわっと優しい夕陽が射している。

乱立するビルとコンクリートに囲まれながらも
死に物狂いで、自然を求める東京人に
滑稽さを見出すのか。愛おしさを感じるのか。


東南アジアなどの都会では、未来への希望が無条件に漂い
欧米の都会では、希望はなくても個人の自立がDNAレベルでprintingされている。

そのどちらもが感じにくい、東京という街。

東京で暮らしている人は、弱さを無意識的に認識しているから、
東京で息苦しさを感じながらも身を寄せ合うようにして在るのかもしれません。

東京に存在する弱さが、自らを守るために使われるのか
成熟していくことで、弱いからこそ、自分ができることをしよう、となるのか。

祈るように夕陽に願わずにはいられなかった。

自分自身になのか、東京に対してなのか分からないけれど。
ただ、祈らずにはいられなかった。




新しいものやことを学ぶのは、
出来る出来ないに関わらず本来とても楽しい。



ちょっと前から、フラを習いに通っている。

「ハワイっぽーい♪」などとはよく言われるが、
そんな見かけにも関わらず
残念ながらこれっぽっちもフラは上手くない。笑

初めて教室に参加させていただいた時など散々たるものだった。

足のステップや腰の動き、そして手の振り付け・・・
一つ一つの動作はふんわりしているようにみえて、
体幹をしっかりと使わないと出来ない。

そんな私に、講師の方も
「腰はすこし中腰の感じで」
「足を上げるときは、ぱっと上げるんじゃなくてじゅわっと上げるの」
「腰は上げるんだけど、前には出さないで」
「一歩のステップはこのくらいの幅で」
沢山のアドバイスを頂く。

基本は大切だから、間違ったカタチで身につかないように
色々伝えてくださるのだと思いつつ。

途中から、すべてを意識していると
こんがらがってきてしまい
余計にわけのわからない動きになってしまう私。



そんな時に、主宰の先生がふらりと現れ
「先ずステップ、そのあと腰、最後に手よ。」
とアドバイスしていただく。

なんだか、その一言でいい意味で力が抜けて
最初っから上手くいくはずはないのだし、
先ずはステップだけ頑張ろう♪と思う。

そうすると・・・うまくなったという訳ではなく(笑)
上手くできなくても楽しくなってくるのだ。

全くできないけれど、
るん♪るん♪と気分だけは一人前でステップを踏み、
終わった後はからだと心が軽やかになっている。

出来ないくせにやる気だけはあるから、
家では中腰姿勢を保てるように練習したり。
(まだ上手くできてないからステップは家で練習しちゃだめ!と言われてます。笑)



こうするともっといいよ♡という部分を都度都度伝えつつも
その人に今一番必要なことが何か?
ということまで伝えたり、
それを本人が考えられるように
全体像と優先順位を伝えるのも大切なんだな(#^.^#)と思ったり。

一歩一歩、着実に。
歩けば、絶対に進む^^

今日も目の前の一歩、頑張ります♪

人は、コントロールや理解することができない「自然」に対して
畏敬の意を昔から表現してきました。

近い未来には、自然以外にも
人間が理解出来ないものが生まれるかもしれないなーと
ちょっとわくわくしています。

ここ数年、急速にリアルな手触りとして存在を感じつつある
「人口知能」についてが今日の主題です。



最近、人工知能は急速に発達していっています。
その発達の土台となっている技術が「ディープラーニング」というもの。

今までは、Aという案とBという案のどちらがよりよい選択なのか?
という<評価>を人間が、ちまちまと設定していたようなのですが、
「ディープラーニング」という技術を取り入れた人口知能の学習では
人工知能が膨大なデータを基にして、
人工知能自身で<評価>をして、学びを深めていくことができる、らしいのです。

ディープラーニングが広く取り入れられる前には
人工知能の発展スピードは足踏み状態であったのが
広く取り入れられるようになってからは、人工知能の’知能’の成長は目覚ましく、
アルファ碁という碁のソフトウェアは、世界的にも強いといわれている方に勝ってしまったのだとか。
今では、プロの碁を打つ方たちが、アルファ碁の打ち手を研究しているという程。

人工知能が人間を超えるのなんて、まだまだ先の話・・・と思っていましたが
実は既に、人工知能の方が、人間の知能を上回っているといえる分野もあるのだなぁと
のんきな私としては驚いてしまいました^^



そんな人口知能に対して、警鐘をならす方も少なくありません。

いくつかの論点があるようなのですが、
私が特に気になったのは「ブラックボックス化」している、という点。

先ほど説明したように、
現在、人口知能の開発現場においては、ディープラーニングという技術が
広く取り入れられており、人口知能自体が<評価>することが出来るようになっていっています。

という事は、人工知能を開発しているひとにすら、<評価>の内容は分からない状態にあります。
そのため、どのように人工知能がその解を導いたのか?
ということも分からないというブラックボックスのような事態が生じています。

近い未来、人工知能に何かの問いに対する答えを聞いたときに、
自分の予想とは全く違った答えが返ってきた!となったら、
人は一体どんな反応をするのでしょうか?
もっと言えば、「私」ならどうするのだろう?と、どきどきしながら思案してしまいました。

答えの妥当性を上手く自分で飲み込めないと、
それを受け容れることが出来ない性分なのは私だけなのでしょうか。

・・・ちなみに、人工知能といえど間違える可能性は0ではありません(*^^*)



人は"正しい"答えを選ぶのがいいのか?
それとも、自分が"納得"した答えがいいのか?

という二択ともいえるのかもしれません。

どちらも間違えるリスクはありますが、
そうなった時にどちらの選択肢なら
自分がその責任を引き受けられるのでしょうか。

人工知能は、最先端の技術であるはずなのに
ある意味、占いに近い存在なのかもしれません。
何でその答えになるかは分からないけれど、
そうするといいっぽい、というような。

そして、最終的に選択するのはあくまでも自分である、という点も似ていますね(#^.^#)

人工知能と一緒に生きる未来に、実際に自分がどんな選択をするのか?
ちょっとドキドキしながらも、その未来が実現することを楽しみにしています。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子さん 「自分の感受性くらい」より

いろいろあっても、自分と向き合って頑張ろうと思う(^^)

茨木のり子さんの詩は、かっこいいな。

「なれる」「知命」も好きです。

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