Creative Light~美しい人とものたちを編んでつくる世界~

「こころ♪生きる♪くらし♪」というWebメディアを運営しています。起業と旅と暮らしのきろく。

先日の講座で、
人の悩みを聞くときに、相手と共振して一緒に闇へと降りていく。
そして一緒にあがって戻ってくる。

そもそも、私たちの闇の表層は
怒りがあり、その奥は悲しみと寂しさがあり、深いところには願いがある。

’願い’まで、安全に一緒に降りていくためには、自分の闇に触れなれておくとよい
という話が印象的に残っている。
(*ちなみに個人的には、願いの、そのまた根本は人に愛されたい、人を愛したい、幸せになりたい、に集約されるんじゃないかって思っている。)


***


そのお話を伺いながら、
ロープがあって、今は10M、30Mと認識しながら、
ダイバーが深海におりていくような。
そんなイメージが浮かんだ。


きっと、自分の闇は、人の闇や人の心の奥深くに入っていくときの命綱みたいな役割なんだなぁって。


私は、自分のなかの闇に振り回されてしまうこともあるから、なくなればいいのに!って、思ったりもするけれど、ちゃんと取り扱えば、人の役に立つものなんだなぁって。


自分の闇を打ち消そうとするのではなくて、仲良くなって、いかしてゆく。


もちろん、仲良くといっても、闇に対して甘やかして力を加えるのではなくて、
ただ、「そうだよね~」というスタンスで。

不用意に闇に、もぐる必要はないけれど、
もぐる必要があるときには、もぐったらいいと思う。

命綱と、酸素の残量には気を付けながら(*^。^*)



 


 


 


5月から月一回の講座に通っている。
昨日は二度目の講座。

受け取る情報量が濃く&多すぎて、
自分のノートには沢山の文字と
頭の中にも、心の中にもたくさんのことを受け取って。
自分の細胞ひとつひとつに、情報がしみ込んでくるみたい。

細胞にまで浸透しても、まだ足りていなくて(笑)
講座の帰りにはいつも、自分の周りにふわふわとした
情報なのかエネルギーなのか、そういったものもまとっている気がする。

あまりに良質で今の私に必要な内容だから
ひとつたりとも無駄にしたくなくて・・・
町に散らばるよく分からない想念や雑多な情報と混じらないように
そのまま、大切に抱きしめながら帰路につく。

そのふわふわとしたものは、ふわりと漂わせるままだと
いつのまにか、泡のように消えていってしまうけれど、
自分の日常や暮らしを過ごすうちに
「ああ!これはこうゆうことか!」と腑におちる経験をしたり
自分の中の情報と、外のふわふわが繋がったり
学んだことを復習したり、暮らしに取り入れたり。

そうやっているうちに、ふわふわが
自分の中に、確かなものとして存在しているようになる気がしている。

そして、いつの間にか、わたしのふわふわが出来上がるのだろう。

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「こころ♪生きる♪くらし♪」や自分個人の表現について、
刷新していく時期だから、色々見直し中です。

自分が表現する対象について
当初はスピリチュアル・潜在意識とか感覚的なものはNGにしようと思っていたのです。
けれども、そういう分野は、私にとっての、ふつうの暮らしに根差しすぎていて
切り離して文章を書くと、無味乾燥なものになりすぎてしまう。

それに、健やかに幸せに生きていくためには、
『日本の神道をはじめとした適切な宗教性を暮らしに上手く取り入れること』
『精神性をたかめるという視点をもって人生を歩む』ということが
どうしても必要だと思っていて。

そういう「おとなスピリチュアル」的なものは、いいな~って(*^^*)
対局にあるのは、「こどもスピリチュアル」。
なんていうか、唱えればかなう的な、神様にすがるスピリチュアル的なのは嫌だなぁと思っています。
現実逃避の道具だったり、砂糖菓子みたいな一時の甘さや快感を与えてくれるものみたいな感じかな。

そういう「こどもスピリチュアル」な人は、私にとっては、一緒に歩んでいく対象ではないから
そういうひとが共感するような内容は書きたくないなって。

・・・おとなスピとこどもスピについては、
線引きが難しいのも事実だけどね。

受け取り手の段階にもよるとこともあるかなと思うし。
おとなスピでも受け取り手によっては、都合のいいところだけみたりするし
こどもスピでも取捨選択していいところだけ取り入れることができたりするから。

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宗教性とか目に見えないことの話だけでなく、
表現するときには、なるべく両極の要素を意識して表現していきたい(`・ω・´)
そして表現する内容についても、質のよいものを意識していきたい。

多面性をバランスよく、質よく、表現できるように♪

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